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真夜中のボールボーイ ~出産に立ち会った時のこと~

2015年2月24日の明け方4時頃の事。
お腹が痛いと言って奥さんが起きてきた。
俺は布団の中で、「きたか」と思った。出産予定日は過ぎている。

痛み間隔がだんだん狭まり10分間隔になったら、それは本格的な陣痛らしい。
病院に電話し向かう手はずだ。

ただ今は激しくはないが変則的に痛みが押しよせている。
奥さんの感じる痛みの強さは俺にはわからないが、間隔は短い。
これが前触れである「前駆陣痛(ぜんくじんつう)」なのか本番の陣痛なのかわからなかった。

とりあえず二人ともそのまま横になり、目をつぶり様子をみる。
奥さんは眠れず痛みに耐えていて、
その横で俺はこれから起こるであろう出来事を想像しようと
頑張ってみたけど全く出来なかった。

もうすぐ自分の子供が生まれる。
あまりにも実感が無さすぎて、なんだか自分にあきれてしまう。

結局朝6時頃、病院に電話して状態を説明し相談した。
電話があったらとりあえず診察する方針らしい。病院に来るように言われた。
入院の為の荷造りはすでに終えてたので、朝食をとった後、車で病院へ向かう。

病院の正門はまだ開いてないので夜間通用口に行き、警備員の方に産科を案内される。
私たちは彼の後について、早朝の誰も居ない薄暗い暗い廊下をゆっくり歩いていく。
長く暗い廊下。緊張と不安。
そこから見える産科のナースステーションはとても明るく、なんだかほっとした。

『じゃあ、ちょっと診てみましょう』
助産婦さんに連れられて奥さんは診察室に入っていく。
俺は静かな待合室で1人ただぼーっとしていた。

目の前を、赤ちゃんの寝ている乳母車ベッドを押しながら
廊下を歩いているパジャマ姿のお母さんいた。
それはとてもゆっくりで、スローモーション映像を見ているかのようだった。
部屋で授乳するのだろうか。
微笑みを浮かべ赤ちゃんを見つめなから病室に入っていく。
なぜかその光景から目が離せなかった。

まるで悠然と流れていく、大河のようだなと思った。
大地を潤し、海を育み、そして雨となり、またくりかえされる。
ゆっくりと、しかしとても力強く、そして当たり前のように。

命の大河の営みを、待合室からただ眺めていた。

『まだみたいですね、子宮口も開いてないし、おりてきていないし』
処置室の中に入ると、横から声がする。
振り返ると、どっかの大学のキャンパスに居そうな若者が立っていて
この人が産科の先生だと理解するのに時間がかかった。
『もうちょっと、時間がかかるようっすね。』
その白衣をまとった若者はそういうと、ポケットに手を突っ込んでニカッと笑った。

その瞬間、俺はその若い産科医のあだ名を「チャラ男」に決めた。

まだだったか。
ガッカリしたようなホッとしたような、なんだかよく分からない気持ちだった。
チャラ男先生から、このまま入院しても良いがまだ時間がかかるかもしれないので
病室にいるよりは自宅の方がリラックス出来て過ごしやすいのではないか、
そんな提案を受けて自宅に戻った。

奥さんはベッドで横になり、俺もその隣で目をつぶる。
この自宅で過ごす時間が妙に落ち着かない。

約10ヶ月前、
妊娠がわかった時、なんだか不思議な気持ちだった。
もちろん嬉しかった。
嬉しかったけど、どれくらい自分が嬉しいのかがよくわからない。
もちろん凄いことなんだけど、どれくらい自分にとって凄い事なのかがわからない。
ただ、何かが大きく変わる予感はした。

妊娠がわかってすぐつわりが始まった。
朝の歯磨きの時に吐いたり、車の中でもいきなり吐いたり、
奥さんはかなり苦しそうで、あまり食べられなかった。
病院で点滴を受けた。
何度も弱音を口にした。
本当につわりはおわるのかなぁ、なんてよく言ってた。
うんうん、と話を聞くだけしか出来なかった。

本によると、つわりとは二日酔いが永遠に続く感じだという。
その例えがリアル過ぎて、なんだか身震いがする。
つわりの苦しさは人それぞれで、軽い人もいるらしい。
妊娠した際、胎盤から放出されるホルモンの影響らしいが、
詳しい原因はわかってないそうだ。
ただ最近、そのつわりを引き起こすホルモンは
妊娠損失のリスクを軽減するという研究結果も出ているらしい。

二人で昼食をとり、ベットに横になる。
自分は少し眠ってしまったようだ。

間隔は不規則だったが痛みが強くなり、夕方病院へ向かった。
診断の結果まだ子宮口はまだわずかしか開いてなかったが、
夜になるので入院する事となった。

陣痛室に入る。
すでに部屋の明かりはおとされていて、各ベッドのランプだけがついていた。
カーテンで仕切られており、ベッドか6床あった。そのうちの4つがすでに埋まっている。
ベッドに落ち着くとすぐお腹に「陣痛モニター」を付けられた。
これでお腹の張り(子宮収縮)と胎児の心音をモニタリングするのだ。
ベットのそばにお産セットのようなものがおいてある。
大人用のオムツ、新生児用のオムツ、体温計、サンプルなど。

まもなく夕食が運ばれてきた。おかずはすき焼きだった。
奥さんは食欲がないと言うので大体を俺が食べたのだった。
自分の分のおにぎりはたくさん買ってあるのに。
俺が生むわけじゃないのに。
ただ、体型だけは妊婦に負けていない。

「おしるし」 「陣痛」 「破水」
出産に関する本は読んだし、ネットでも調べた。
もちろん個人差があるか、おしるしがあってから2.3日で陣痛がくるらしいし、
初産婦だと陣痛が始まってから出産まで平均14時間かかるらしい。

陣痛は寄せる波のようにやってきて、奥さんは押し殺したようなうめき声をあげる。
俺はすきやき食って陣痛室でボーっとしてる訳ではないらしい。
身体をくの字に曲げて痛みを堪える奥さんの肛門あたりを、家から持ってきた
テニスボールで押すのが仕事だという。

初めてその話を聞いた時はびっくりした。
陣痛とテニスボールがうまく頭のなかで繋がらない。
でも実際それで陣痛が少し紛れるというのだ。

俺はベッドの横の地べたにひざまずき、背中を向けて寝ている奥さん肩を左手でつかみ、
右手でテニスボールを肛門あたりに押しつける。
陣痛は5分間隔でやってきて、2.3分続く。

陣痛モニターのランプがつくと、やってくる合図だ。
少し間をおいて奥さんのうめき声が始まり、それと同時に俺はテニスボールでお尻を押す。
それもかなり強く。
強くないと意味がないらしいので全力でボールを押し込む。
ところてんを例の道具で押し出す、そんな感じの動作を身体全体を使って全力でやる。
ただところてんと違うところは、ものすごい力で押し返されるのだ。
痛みの波が強くなると押し返す力も強くなる。

一体、テニスボールの向こうで何が起こっているんだろう。

なんだか怖くなって力を弱めると、奥さんに激しく怒られた。
「なにやってるの?強く押して!」
「はい、わかりました!」
身体を使って全身に力を込めて押す、押す、押す。

まさかテニスボールがこんなに役に立つなんて。
今、陣痛が和らぐからヤカンを頭に乗せて、と奥さんに言われたら疑いもせず乗せるだろう。

2.3分続くと痛みが収まり、次の陣痛までインターバルとなる。
奥さんは、このわずかな時に休息を取る。
俺はスポーツドリンクを飲ませたり汗を拭いたりした後、
いつ痛みが来ても良いようにベッドの横に立て膝をつき、ボールを握り、待機する。
部屋は暖房が効いていて暑い。自然と汗が流れた。
ずっと床にヒザをついていると痛いので、スリッパヒザの下に置いた。

もう深夜。
テニスボールを握りしめる。
真夜中のボールボーイ。
立てひざをつき、試合の行方を見ている。

そうこうしているうちに尿意を覚えた。
そういえば長い間トイレに行ってないな。
奥さんにトイレいっていい?と聞くと、瞬速で返事が返ってきた。
「ダメ」
えっ、ダメ?
予想外の返事で理解するまで時間がかかった。

ボールボーイが居ないと陣痛が辛いらしい。
そんなに俺は役に立ってるのかという嬉しさを感じる以前に、
今大至急自分の膀胱の役に立ちたいのだ。
幸い陣痛室の中にトイレはある。
今の切迫状況を小声で伝え、次の試合のインターバル中に
ささっとすますことで奥さんと合意した。

陣痛と奥さんの激しいラリーは夜中じゅう続き、
今まで聞いたことのないうめき声が数分ごとに陣痛室に響く。
隣のベッドは、恐らく母親が付き添っているのだろう、普通に話し声がする。
こちらではうめき声をあげているから、なんだか不思議な感じがした。
向かいは時折うめき声が聞こえるが、小さい。
そのうち先生が入ってきて陣痛促進剤という単語が聞こえた。

そういえば先ほどの「トイレ事件」は陣痛室にいたこの妊婦さんたちに聞かれていたようで、
後日奥さんがこの方々と友達になった時に話題になったらしい。
ウケたのなら、俺の膀胱もうかばれるか。

夜中を過ぎ、陣痛のわずかな合間に奥さんは一瞬で眠るようになった。
まさに寝落ち。何事もなかったように。
そうとう疲れているのだろう。
そして陣痛モニターのランブが灯り、くいしばるように声をあげる。

そんな繰り返しであっという間に時間が過ぎていく。

午前4時前、お尻に押し当てていたテニスボールから不思議な感覚が伝わった。
小さい風船がパンと割れるような。
破水だ。
奥さんの履いている大人用のオムツからじんわり温かさを感じる。
急いでナースコールした。

そこに現れたのは、ショートカットのスラッとした30代前半くらいの助産婦さんだった。
綺麗な顔立ちで、スーツ着てれば都会を闊歩するキャリアウーマンのようだ。
なんだか男前だな、と思った。
陣痛室に入った時の助産婦さんはたぶん新人で頼り無さそうな感じだったから、
妙に頼もしい。

「ちょっと見てみますね」
その男前助産婦さんは素敵な笑顔でとカーテンを閉め診察を始めた。
破水後、平均3時間位で出産するらしい。
いよいよその時が近づいてきたか。

「だいぶ子宮口も開いてきて赤ちゃんもおりてきましたよ。もうすぐですよ。」
奥さんは頷いていたが、痛みでうまく返事が出来ないようだ。
そしてだいぶ疲れている。
この痛みは経験してみないとわからないのだろう。
鼻からスイカ、って例えもあるけど、それもよくわからない。
そばにいるだけで、何も出来ないのだ。
していることと言ったら、すき焼き食って、ポカリ飲ませて、汗ふいて、
トイレ我慢して、テニスボール押し付けるだけなのだ。

破水してから、あまり時間経過的な事を覚えていない。
ただ衝撃的だったのは、分娩室に行く前にまだ産まれていない赤ちゃんを見た。
正確にいうと、赤ちゃんの一部を見た。
まさかそんな光景をそこで見るとは思わなかった。

「あぁ、もうすぐですね~。」
陣痛室にて緊張している俺と歯をくいしばって陣痛に耐える奥さんに、
内診をした男前助産婦さんは言った。
「もう赤ちゃんここまで来てますよ。」
明るい口調で、ランナーを応援する沿道の人みたいな感じだ。
もうすぐゴールですよ、頑張って。もう少しですよ~。
その明るい口調に、ホッとする。
そうか、病気じゃないんだもんな。
こっちは心配でたまらなかったから、笑顔で言われるとなんだか落ち着く。

そして、男前助産婦さんは言った。
「ほら旦那さん、見てみます?」

意味が解らなかった。
何を見るの?

「赤ちゃん、もうここまできてますよ。奥さん、旦那さんに見せていいですか?」
ええええっ?

奥さんはそれどころじゃないらしい。
痛みに耐えてながら。うなづく。

ええええっ!

出産シーンを見ると、今後の夫婦生活に支障が出るという記事を思い出した。
女として見れないとかなんとか。
ははは。
でも見てみたい。

「旦那さん、ほら赤ちゃん見えますよ。」

男前助産婦さんの手招きで、考える間もなく奥さんの足元に立った。
助産婦さんはオムツをとった奥さんの足を開き、
赤ちゃんがもうすぐ出てくるであろう小窓を開いた。

あっ、いた。

濡れた髪の毛が張り付いた頭が見えた。

えっすぐそこ?

なんかもっと奥の方で見えるもんだと何となく思ってたけど、触れるぐらいすぐそこなのだ。
小窓の向こうに。
本当だ、と呟いた。
「すごい」しか言葉は浮かばない。

人から、人が産まれるんだ。
奥さん、あんたってすげーな。
そんな完璧に当たり前な事を目の当たりにして、驚いている。
そして間違いなく自分もそうやって生まれてきたのだ。

「それじゃ、分娩室に行きましょう。」
男前助産婦さんは言った。

実は俺は分娩台に乗ったことがある。
もちろん、俺が出産したわけではない。
その病院は立ち会い出産を望む場合、夫婦でレクチャーを受けなければならないそうで、
普通の旦那は嫌がるのだろうが俺は好奇心の固まりなので喜んで話を聞きに
病院へ行った。

その日10組位の夫婦が集まっていた。
みな若い。
まるで子供同士に見える夫婦もいた。
よくよく考えてみると、若い夫婦が20代中ばだとしたら俺とは20歳位離れている。
向こうか子供なんじゃなくって俺がおっさんなんだな…。
20歳差って人間ひとり成人してるもんね。

唖然としてると、奥のほうにひとりいた。
おっさん。
ホッとした。

そういえば、役所のブレパパママ教室に出た時も俺と同じ年代の人がいて
お互い子供が成人するまでは簡単に死ねないね、長生きしましょうねって
勝手に話しかけて言って別れた。
そう、おっさんパパは寿命とも戦わないといけないのだ。
老眼が発覚して落ち込んでいる場合ではない。
焼肉食って胃もたれしている場合ではないのだ。

そしてレクチャーが始まり、まず参加者で自己紹介をするという。
俺がトップバッターだ。
おっさんの意地を見せなければと思い、張り切って立ち上がると隣で奥さんが呟いた。
「ウケを狙わなくていいから。余計なこと言わないでね。」
さすがよく俺の事をわかってらっしゃる。

自己紹介や助産婦さんのお産の流れの説明が終わると病院の施設の見学が始まった。
病室、新生児室、陣痛室が終わると、最後は分娩室だ。
勿論、分娩室を見るのは初めて。思ったより簡素であっさりしてるんだなと思った。
病院自体古いので、部屋もなんだか地味だ。
部屋には分娩台が二つあった。

分娩室での説明が終わり、助産婦さんは見回しながら言った。
分娩台に乗ってみたいお父さんはいますか?

しーんとしている。

が、その声にすぐ手が挙がった。
いや、挙げていた。俺が、反射的に。

そそくさと分娩台に乗る。
これは昔何かのお祭りで座ったスーパーカーのコックピットみたいだ。
もしくはロボットの操縦席。
かなり深くリクライニングした寝そべるような体勢だけど、頭の部分は起こされている。
バーを握り足を開いてステップに置くと、踏ん張るには最適な姿勢だ。
妊娠してない俺でも何かが産まれる気がした。

「こりゃ、出るね~!」とうれしそうに助産婦さんに言うと、みな笑っていた。
呆れ顔のうちの奥さんを除いては。
貴重な経験をさせてもらったのであった。

破水した奥さんの陣痛は強まり、歩くのも大変なようだ。
陣痛の合間に陣痛室を出てゆっくりと分娩室に入り、やっとのおもいで分娩台に乗る。
俺は奥さんの頭側に立ち、汗を拭いたり、飲み物を飲ませたり。

陣痛は最高潮らしく、奥さんはとても苦しそうな顔をしている。

「頑張れ!」と声を掛けたら、間髪入れず「うるさい!」と言われた。
う、うるさい、の?
ここは頑張れっていうところじゃないの?
よくドラマであるような夫婦手を取り合って励まし合いながら出産する
感動のシーンを夢見ていたのに。うちには当てはまらないらしい。
この漫才のような掛け合いに分娩室内は大爆笑だったが、
奥さんはそれどころではない。

どれぐらい時間がたったんだろう。
なかなか赤ちゃんはおりてはきてくれなかった。
まだ他に出産がないのか、9時位には男前助産婦さんを中心に
いっぱい人が集まっていて、なんだか頼もしい。

男性の産科医が言った。
「なかなか赤ちゃんが降りてこず、時間が掛かっていて陣痛も弱まってきています。
あと30分頑張っても出てこなかったら、
促進剤を使うか道具を使って引っ張り出すか検討しましょう。
このままだと赤ちゃんにも負担が掛かりすぎる。」

道具か薬か、ベストな判断なんだろうけどなんか恐い。

そう思ってると奥さんは言った。
「あと30分も耐えなきゃいけないの!」
産むほうもギリギリなのだ。

陣痛の合間にエネルギージェルを摂る。
なんだかマラソン時の補給のようだ。
子宮は筋肉で出来ていて、もちろん長時間酷使していると疲弊してくる。
そんな時はスポーツドリンクやエネルギージェルがいいらしい。
奥さんは今までたいしたもの食べていない。
いわゆるガス欠状態なのか。ランニングと一緒だな。
晩飯のすき焼きは誰が食ったんだっけ。

男前助産婦さんが言った。
「奥さん、分娩台から降りて膝ついて立って。
旦那さんはそれを抱きかかえるようにして支えてください。
それでいきんでみましょう。」

言われるがまま、立て膝をつく奥さんを同じような態勢で支える。
抱き合うような格好だ。いわゆるフリースタイル分娩というやつか。
何回か陣痛がきて、俺にしがみつく力が強くなった。
陣痛モニターからは赤ちゃんの鼓動が聞こえる。
さっきのエネルギージェルが良かったのかこの態勢がいきみやすいのか、
お産が進んだ。

「奥さん、出てきてる。もうすぐですよ!
ただこのままでは安全に取り出せないかもしれないので、分娩台に戻りますよ。」

「ええ~っ、戻るの!」と思ったら、奥さんも同じ事を口に出して言っていた。
痛くてもうそれどころではないらしい。
でもやっぱり分娩台で取り出したほうが、奥さんが暴れたり赤ちゃんかスルッと落ちたり、
そんな様々なリスクは少ないのだろう。
奥さんは何人にも支えられながらなんとか戻り、
助産婦さんたちはビニールみたいなものをかぶって分娩室が緊張感に包まれる。

「発露した。」
男前助産婦さんは言った。
赤ちゃんの頭が出てきてるんだと分かった。
頭が出てきてもう戻らない状態。
いよいよだ。

「赤ちゃんの鼓動を聞かせて。」
独り言を呟くように男前助産婦さんは言って、陣痛センサーのボリュームを回した。

真剣な目。
やっばり男前だ。
大勢の助産婦さんたち、産科の先生、皆の目を見たらふいに泣きそうになった。
俺の子供の為にこんなにも一生懸命なのだ。

「産まれましたよ!おめでとうございます!」

ちらっと見えた。
濡れていて、小さくて、青黒い。そしてへその緒が身体に巻き付いていて、
ぐったりしているようだった。

そこからなんだか余り覚えていない。
泣き声をいつ聞いたんだろう。いや泣いたのかどうかもわからない。
俺はただ呆然としていたと思う。

男前助産婦さんがへその緒をゆっくりたぐって奥さんの中から引っ張り出していた。
後産というやつだ。「へそのお」と「胎盤」を出さなければならない。
手つきがタコのテンや釣りのようだと思った。
ぬるっとした塊が出てきて、男前さんは隠すようにさっと取り出してどこかに置いた。

出産後、2時間は安静にしていなければならない。
分娩室で奥さんはタップリ寝た後の朝のような清々しい顔をして
出された朝食をもりもり食べている。
俺も買っておいたオニギリを頬張りながらなんでさわやかなのか聞いてみると、
「だってもうあの陣痛に耐えなくていいんだよ!」と元気に答えた。

さっき助産婦さんから、
「お子さんはちょっと呼吸数が多いので保育器に入れて様子を見ています。」
と言われたのが気になってはいたのだか、出産が終わった解放感もあるからか
あまり深く考えていなかった。

一旦分娩室を出て両方の母親に電話をした。
なんかやっと終わったな。
ホッとすると疲れがどっと押し寄せてくる。

しばらくした後、車いすの奥さんと二人で保育器に入っている赤ちゃんを見た。
顔は「ガッツ石松」だった。
生まれたての赤ちゃんの顔は「鶴瓶」か「ガッツ石松」に分かれるらしい。
目がギョロっとして、少しむくんでいるように見える。
二日酔いの顔みたいだ。
拳はぎゅっと握っている。
やっぱりガッツ石松だ。でも可愛いガッツ石松なのだ。

義母と義姉が来たので病院の入り口に迎えに行き連れて戻ってくると、
スタッフがちょうど私を探していたようで新生児室に呼ばれた。
奥さんは保育器に入った赤ちゃんを愛おしそうにに見つめている。

助産婦さんが言った。
「赤ちゃんはうまく呼吸が出来ないようで呼吸数が多く、
酸素濃度を上げなければなりません。
保育器てば限界があって、ここでは設備がないので
設備のある病院へ転院する手配いたしました。
間もなく救急車がくるので、医師が同乗して転院先に赤ちゃんを運びます。
車で15分位です。お父さんは後から向かっていただけますか?」

ただ、ハイと頷いた。
何が起こっているのか、全くわからなかった。

救急車が救急搬送口に着き、保育器ごと乗せられた。
その瞬間、彼の生まれて初めての乗り物は救急車となった訳だ。
「わたしが責任を持って転院先までついていきますので。」
その産科医は可愛らしいお嬢様のような若者だった。
救急車は息子を乗せて走りだし、少し離れた後でサイレンを鳴らした。
お嬢頼んだぞ、と小さくなる車を見てつぶやいた。

睡眠不足もあって頭が回らない。
俺は今から息子の転院先に行って、そこの先生から話を聞かなければならないらしい。
車の中で仮眠してからとも思ったが寝られるわけもなく、漠然とした不安を抱えながら
ハンドルを握り向かった。

初めて入ったその大学付属病院はとても広かった。

受付で名前を伝え、案内してもらう。
長い通路を歩き、何回か角を曲がり、エレベーターで上がる。
そのフロアには産科があり、その反対側には自動ドアがあって仕切られていた。

その中に進むと小さな待ち合い室になっていて、もうひとつ中が見えない自動ドアがある。
だが開かない。
インターホンで名前を伝えて、ロックを解除してもらわなきゃならないようだ。

名前を言うと中から看護婦さんが迎えてくれ、そして中に入る際の
注意事項の説明を受けた。
荷物、上着をロッカーに入れる。
そして手を洗うのだが、洗い方が決まっていてとても入念に爪の間まで洗う。
アルコールを吹き付けた後、マスクをする。
それで完了だ。
これらの一連の作業で、ここが特別な場所だとわかった。

説明室に通された。
医師と看護婦がやってきて、息子の現状の説明を受ける。
出産の際、肺に少し羊水が入ってしまったらしい。
そして今後の事。悪い場合、いい場合。
睡眠不足の頭で懸命に理解しようと試みる。

陣痛が始まって病院に来て、夜中に肛門にテニスボールを押し付けたり、
秘密の扉から赤ちゃんの頭を見たり、
出産間際がんばれって言ったらうるさいって怒られたり、
やっと生まれたと思ったら救急車の後追っかけたり、
そして今は別の病院の一室で深刻な話を聞いている。
なんて盛りだくさんな日なんだ。
そんなことを考えているうちに説明は終わった。
赤ちゃんに会っていきますか?

もちろん。

息子のいる部屋に入った。
そこは、NICU (新生児集中治療室)と書いてあった。

中はとても広く感じた。

保育器があり、頭上にはモニタが波形やら数字やらを示していた。
そしてコードかたくさん繋がっている。なにか近未来的な場所だ。
さっきまでとてもアナログな、人が人を産みそれを人が取り出すという
デジタルとは無縁な人間ぽいところにいたから、この差に戸惑う。

息子は寝ていた。胸には心拍のセンサーが二つ付いている。
張り付けたシールがかわいいアニメのキャラクターで、機械に囲まれたベッドの中で
妙に人間味を感じさせた。

君も産まれていきなり母親とも離れて、一人っきりの夜を過ごすのか。
まあ、仕方ないよ。思い通りにいかないのが人生ってものさ。
かっこいい救急車も乗れたしここの看護婦さんは若い人ばかりだから、ちやほやされなよ。

私はまだこの病院で色々な手続きをしなければならないらしい。
慌ただしくNICUを後にした。

その後、また迷路のような広い病院の中を歩き、入院の為の書類やらなんかの
同意書やらを書いた。子供の名前の欄は、奥さんのフルネームの後にベイビーと書いてある。
そういやNICUでもそうだった。名前のついていない赤ちゃんはそう呼ぶのを初めて知った。

手続きを終え、病院の出口を目指す。
長い通路を歩きそして迷ってしまった。頭はもう働いていない。
睡眠不足の上、あまりにも色々ありすぎて。

出産した病院に戻り、奥さんに一通り説明した。
もう任せるしかないよ!
そう笑顔で言う奥さんを残し家に帰った。
そしてビールを飲んで崩れるように寝た。

翌日、ふたたび奥さんのいる病院へ。
元気そうだ。それにへこんだお腹を見るのは久しぶりだ。
とはいえ、完全に戻るには時間がかかるらしい。
病室まわりでは赤ちゃんの泣き声がする。

そして息子の病院へいった。
あらかじめ何時に行くか伝えてある。
また何回も曲がる長い通路をたどり、エレベーターに乗った。

NICUのインターホンを鳴らしてドアを開けてもらう。
昨日教わった通り手を良く洗っていると看護婦さんが迎えにきた。
先生からお話があります。
お話しっていったって、楽しい話じゃないよな。
平静を装い、息子のベッドへ向かう。

口と鼻に管が繋がれていた。

昨晩、肺からわずかに出血があった。
止血剤と抗生物質を投与しました。
そして人工呼吸器をつけました
そのため麻酔をしてます。
そんな説明だったと思う。

周りを見回す。
保育器にいる様々な赤ちゃんたちが見える。

目にガーゼをあて、人工的な光を浴びている赤ちゃん。
部屋に響く心電図の音。
とっても小さい赤ちゃんをいとおしく見つめている母親。

管に繋がれて寝ている息子を見る。

なぁ息子君、
人生って、どんな困難があっても生きるべき価値があるものだと
俺は信じているんだよ。理由はないんだけどさ。
でもどんなに辛い事があったとしても、全ては自分で選ぶ事が出来るんだ。
幸せになれる。自分を好きになれる。
だからさぁ、何も心配いらないよ。

今の「困難」はただの「経験」だ。
何にも心配いらないよ。

ぎゅっと握っているその小さい手にふれると、確かに温かかった。

それから1週間ちょっとで無事退院することが出来た。
奥さんは毎日搾乳して自分の病院から息子の病院までタクシーで届けてたし、
俺は会社早退して病院に行っていたから、息子とは毎日会っていた。
こんな早い時間に毎日来てるパパは居ないよな、と話しかけると看護婦さんは笑っていた。
看護婦さんがくれる連絡帳には毎日の様子が書かれていて、写真まで撮ってくれていた。

GCUに移った時だったか、奥さんが悪戦苦闘して慣れない授乳をし終えて
息子がどれぐらいお乳を飲んだか計ると5ccだった事があって、
「たった5ccかぁ」なんて言ってると、「そんな事いうもんじゃありません!」って
若い看護婦さんに怒られた事があった。
奥さんだって必死で授乳してるし、
息子だって慣れていないおっぱい飲むのにがんばっていたからだ。
このNICUの設備は近代的だけど、働いている人達は皆さん温かかった。

                          ***

そしてあれから1年9か月たった。
本当に、本当に、本当にあっという間だ。

そうは言っても奥さんは大変だったろう。
子供を生むという大事業をなし遂げたばかりなのに、満足に睡眠時間さえ取れない数ヶ月。
全面的に命を委ねる側と、ぼろぼろになりながらも惜しみなく愛を注ぎ命を守る側。
だからこそ子供と母親との関係というのは、とても特別な深いのものなのだと思った。

そして今息子は簡単な言葉を話し、お腹がすいたら口の中を指さし、
ご機嫌な時良く笑い、不機嫌な時延々と泣き叫び、うんちをぶりぶりし、
そして良く遊ぶ。

時々、あの出産の時の事がとても懐かしくなる。

分娩室で立ち合ってる時生まれてきたのは息子だけど、
一瞬自分が生まれてくる時の事を見ているような気がした。
そして今元気の遊ぶ息子を見ていると、やっぱり小さい頃の自分を見ているような気がする。

子供を育てるという事は、自分が育てられた軌跡を感じるという事なんだろう。

何十年後、息子に子供が生まれた時には今の俺の気持ちを感じてくれるのだろうか。
あの出産に立ち会ったときの感動を、彼も感じるのだろうか。
産まれた自分の子供を見つめて、自分が育てられた頃の事を想うだろうか。

そんなことを、俺の父親も思っていたんだろうか。
今では聞くすべもない。






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プロフィール

ジミー

Author:ジミー
走っても痩せない。なぜならば食って、飲んでるから。


【自己ベスト】
2009年 第12回荒川市民マラソン   3時間55分
2009年 第10回谷川真理ハーフマラソン 1時間46分
2011年 第7回いわて銀河100Kmチャレンジ 13時間29分

【初レース】
2005年かすみがうら10マイル
【初フルマラソン】
2006年 第9回荒川市民マラソン    6時間10分

【東京マラソン】
第1回だけ当選しました。土砂降りのこの大会記録は6時間46分
あと14分遅ければ都知事と握手してテレビに写ったのに。
膝が痛くてそんな余裕ありませんでした。

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