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いつだって走ることが出来る

私は東北が好きで、旅行でも趣味の釣りでも各県回ったことがある。
車で東北4大祭りを見に、青森のねぶた、秋田の竿灯、山形の花傘、
仙台の七夕祭りを見てまわった。
宮古の港で車中泊したり盛岡で咲いてない石割桜を見て、わんこそばを食べた。

釣りでは岩手県遠野経由で釜石、山田へ行き、
山田の岸壁では近くにいた漁師から捕れたてのホヤをもらった。

気仙沼ではカレイ、アイナメを釣った後居酒屋で飲んでたら店員さんと親しくなり
釣って来たアイナメをタダでさばいてくれた。
そのまま南下して志津川湾(南三陸町)でも釣りをした。
とても静かな海で、時が止まっているようだった。
何故かそこでは地元の釣り雑誌の取材を受けた。

そしてさんまの街、女川を経由して牡鹿半島の先の鮎川まで行った。

港内の浅いところでウニが見えたのでタモ(網)でいじくってたら地元の漁師に怒られた。
謝っていると『東京から来たのか、んならサービスだ。』と言い、
キレイに割ってくれてその場で食べさせてくれた。

ちなみに東京湾などでは堤防の角で釣りをしてると、
かすめる漁船のスクリューで糸が持ってかれるので対策をして釣りをするが、
ここでは必要ない。

漁船がわざわざ避けてくれのだ。
こちらが帽子を取って礼をすると笑って手を振ってくれる。

奥松島では山を登り、森を掻き分け、崖を下り、
天国のような、この世とは思えない夢のような海岸で釣りをした。

どこも緑が美しく、海岸線が美しく、食べ物がうまく、人が優しかった。

そう、人がとても優しかった。





あの日、あの震災は主に東日本の人々を傷つけ、
そしてテレビ画面から何度も津波のように押し寄せる衝撃的な映像は
心の堤防を決壊させ、我々をも襲った。

関東では、ガソリン、食料、電池、全部目の前から消えた。
私達は3月11日に起こった出来事に恐れおののき
正常な、理性的な行動が出来ない。

激しくうろたえ、おびえ、深い悲しみを目の前にただ呆然とする。

我々の生活が、本当はとても細いロープの上を歩いているようなものだと
一瞬にして無くなった街の映像を見ても理解することは難しい。

私はずっと風邪を引いていて、震災翌日の土曜日、日曜日は
ずっと部屋で寝ながらテレビを見ていた。
なにも考えられなかった。

ただ目から入ってくる情報を、脳を経由させずに心の深淵に溜めていく。

そして次第に重く深いヘドロで身動きが取れなくなった。

それでもきちんと時は過ぎていって、東京の空はウソみたいに青く晴れ渡り、
公園の梅の花はあたりまえのように綺麗に咲き誇る。

それでもきちんと腹は減り、喉の乾きを癒すために水を飲む。

それでも仕事をし、生活をし、時には冗談を言わなければならない。

この空の向こうに、寒さに震え、飢え、恐怖におびえる人々がいることは分かっている。
それをうまく理解し、消化することが出来ない。

例えば暖かい蕎麦を食べるとき、その行為を肯定する必然的理由を考えてしまう。
『オレは今、こんなもの食べてて良いのだろうか。』

ただ私は自分から沸き起こる衝動から、とりあえず距離を置こうと思った。

混乱しているんだ。まず心の平穏を取り戻さなければならない。
そうでないと嘘になってしまう。

誠実でなければならない。

この“何かをしたい、助けたい”と言う衝動は、
自分を覆う恐怖の中の安定剤となってはならない。

自分の欲求を満たすための“ボランティア”になってはならない。

ましてや、“自己表現”であってもならない。

情けない私は意識をしなければ自分に酔ってしまう。そこには被災者はいない。
そして酔いはすぐ冷めるものだ。

ただそんな中、懸命に災害に立ち向かい現地へ向かう人、
すぐ行動に移し仲間に声をあげる人、そんな人たちをうらやましく思った。

『今、我々は何をしたら良いんだろうか。』

こんな言葉がそこかしこに溢れ、足に絡まって進むべき方向が分からなくなり、
次第に“してはいけない事”に意識は集中し、世の中はゆっくりと歩みを止める。

私の参加予定だった、板橋シティマラソン、大島1周マラソン、長野マラソンが
中止になった。

開催に関する判断について大会主催者は苦慮したに違いない。
ネット上では、激しい討論が起こっていた。
感情をそのままぶつけた、反対論者を敵視したものもあった。

“そんなことをしている場合じゃない” “開催して元気を与えるべきだ”
皆、本当は走るのが好きな人間なだけ、なんだ。

そこに正解なんて無いのだろう。私はどれも否定出来ないと思う。

そんな中、友人が中止になった板橋シティマラソンのコースを
開催予定だった日に走ると言う。
大会が中止になり、がっかりしていただけの私はハッとした。

そうか、別に大会が中止だからって、シューズがあれば
いつだって走ることが出来る。

彼は深い意味は無く、この大会に思い入れがあってただ走りたかったらしい。
その“深い意味が無い”ところに衝撃を受け、彼の人間としての強さを感じた。

走るのに意味なんて必要ない。
立派な名目、理由付け、ましてや言い訳なんて必要ない。

息をするのが自然なように。

心臓が鼓動を続けるように。

私の親戚は、多くが宮城県石巻市にいる。
実は震災のあった3日前の火曜日、いとこのお通夜に出席するために私は現地にいた。
翌日お昼前、火葬場で震度5強の地震にあった。

もしかしたら、あと2日ずれていたら私も被災してたかもしれない。

震災の翌日、映像では親戚のいるその地域を“全滅”と言った。
それを見ていた母は小さな声で“全滅だ、全滅だ”と言って泣いた。

だが後日、幸運にも親類の無事を確認する。
私は元来、テレビを信じていない。

私たちはとても細いロープの上を微妙なバランスで歩いていて、奇跡的に、生きている。

ごく普通に生活できることに、走れることに、まず感謝しなければならないのだろう。
全てはそこからだ。

そして、

あなたの笑顔が周囲の人々を癒し、あなたの言葉が周囲の人々を安心させ、
あなたの元気が社会をも元気にし、

そんなあなたの思いが次第に輪となって広がり、

かの地に届き、

それが小さいながらも確実に実を結ぶという事、

また春が来れば桜が咲き誇り、

皆、笑顔でそれを見上げられる日が来るということ、

私は感謝し、私自身も強くそうありたいと思う。


『PEACE for JP』  
イラスト:小池アミイゴさん http://www.yakuin-records.com/amigos/


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Comment

さぶろう | URL | 2011.04.24 11:24
シビれる記事です。
震災以降、ランナーは走る理由や免罪符をそれぞれ探し続けて葛藤してました。
自分なりの答えを出した人もいて、そうでない人もいて。
今まで走り続けてることに、大した理由なんかなかったのに。
走ることが好きで、走ることが日常なら、また走り出すことが結局は自然なんですよね。
我々が抱えていたモヤモヤを、うまく表現してもらってありがとうございます。
ジミー | URL | 2011.04.25 21:42
さぶろうさん、

すいませんけど私が悩みつつ1ヶ月かけて書いた記事を
4行でこんなにうまくまとめるのは止めてください(笑)
まさにそういうことが言いたかったのです。

まぁ、さぶろうさんに気づかされたことなんで
当たり前ですね。

勉強になりました。

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プロフィール

ジミー

Author:ジミー
走っても痩せない。なぜならば食って、飲んでるから。


【自己ベスト】
2009年 第12回荒川市民マラソン   3時間55分
2009年 第10回谷川真理ハーフマラソン 1時間46分
2011年 第7回いわて銀河100Kmチャレンジ 13時間29分

【初レース】
2005年かすみがうら10マイル
【初フルマラソン】
2006年 第9回荒川市民マラソン    6時間10分

【東京マラソン】
第1回だけ当選しました。土砂降りのこの大会記録は6時間46分
あと14分遅ければ都知事と握手してテレビに写ったのに。
膝が痛くてそんな余裕ありませんでした。

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